昭和天皇の「戦争責任」を巡る大原康男氏の論文(「『天皇の戦争責任』覚え書き」)
に、文芸評論家だった亀井勝一郎氏の次の一文が掲げてあった。「私は現陛下(昭和天皇)によって救われた身であることを第一に述べて
おかねばならぬ。
終戦の御聖断が若(も)しなかったならば、国内は戦場となり、国民の大半を
死なしめたであろう。
仮りに免れたとしても餓死は免れえなかったであろう。
私はともかく生き残ったのだ。
今日に生きている根拠は御聖断である。
その恩義を私は感じている。
生命を救われた上で、救いを賜(たまわ)った陛下を嘲罵(ちょうば)し、
その道徳的責任を云々(うんぬん)することは、私の道徳的感覚が許さない」
ーあの時の「御聖断」(正しくは“聖断”)がいかに至難な事であったかは、
私自身、これまでに幾度か指摘して来た。
こういう文章を読むと亡父の言葉を思い出す。私の父は戦時中、17歳で自ら特攻隊に志願した。
だが出撃前に昭和天皇の聖断が下って、かろうじて生き延びることが出来た。
その事実に父は生涯、重い恩義を感じていた。父は幼少の私に繰り返し語った。
「俺が今、生きているのは天皇陛下の終戦の聖断のお蔭だ。
あの聖断がもう少し遅れていたら、確実に死んでいた。
死んでも後悔は無かった。
でも陛下のお蔭で生き延びることが出来た。
だから、絶対に無駄な人生は送らない。
お前も陛下の聖断が無ければ当然、この世には生まれていない。
だから、天皇陛下の有難さに感謝しろ。
俺もお前も陛下のお蔭で今、こうやって生きているんだぞ」と。父はその言葉の通り、決して無駄な人生は送らなかった。
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